世界の解像度の話

梅雨の晴れ間にやっと身体を動かせたものの、身体は目覚めて妙に元気。かと言って、動画を編集したり、小説を書くほどの脳のリソースは無いんだよねぇ。
かと言って眠れないし。
というわけで、たまには自分が考えている事でも書き出しておこうかなと。
昨年の大みそかから今年の元旦にかけて、それから一か月くらい民俗学的なツイートがバズったりしたけど、あのツイートがあんなにバズるとは思ってなかった。

このツイート、民俗学的にはあくまでも解釈の一端や、何かに興味を持つきっかけ、何より、年末年始の長旅の時に少し気がまぎれるかな?と思ってツイートしたんだけど、思わぬ反響を呼んでしまった。

ただ、民俗学的な事にとどまらず、世界の解像度を上げていくと、様々な物が「そこにある意味」が存在している事に気付き、ただの散歩さえとても有意義な時間になっていく。これはとても重要な事で、これが多分知識の正しい使い方で、豊かって事になるんじゃないかなって思ってる。
さらに、自然を相手にしてしまうともう奥深くて止まらない。
ただの砂浜でも、潮の流れのせいで特定の場所にだけ変わったものが打ちあがるとか、同じ潮でも気圧で潮位が変わったり、そんな気圧の強さを体感して、「体調が変わるのも無理ないよなぁ」と考えるようになったり(余談だけど悪天候時と好天時の人の体表にかかる気圧は数百キロの差があり、影響はやはり馬鹿にならないと思われる)。

何の興味も持たなければ、世界はゲームの画面と同じテクスチャのように味気ないけれど、自分で知識と興味を持って注意深く見ると、驚くほどたくさんの情報で世界は出来ており、そんな世界が自分の目の前に広がっている、という事実は、現代社会でありがちな「悪い意味で自分に疑問を持つ」という陥りがちなネガティブ思考を打ち消してくれるようになる。
多分それが、知識の本来の使い方「人を自由にする」の一端なんじゃないかと思う。なんてね!

では、また!



コバルト

投稿者: コバルト

とある南の国で、今はガラスを探しています。海や山で獲物を追ったり、ビーチコーミングしたり、何か作ったりしてます。

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