古いガラスの記憶#10 無名の佃煮瓶

口の部分は手作業?今回はこの瓶について。

以前、この動画の中でも紹介しましたけれど・・・

現在持っている佃煮瓶の中で、一番気に入っている瓶について。

滑らかでありながらしわが見え、ワンポイントのような気泡に、斜めの口部分と、実に表情豊か。

少し楕円めいた佃煮瓶から、円筒形のもの、「今日もまた」みたいなエンボス入りのものと、佃煮瓶には本当に様々な種類があるのだけれど、今のところ一番気に入っているのはこの佃煮瓶である。
ではなぜ気に入っているのか?
実は「気に入っている理由が分からないから」気に入っているのだ。人は死ぬその瞬間まで、結局のところ自分がどんな人間かわからず、また、ある程度の歳を生きてこないと、「自分はこういう人間である」と、一言で表現するのは意外と難しい事で、この瓶は私の中にある「まだ言葉にできないけど魅力を感じる何か」を形にしてくれているものの一つ、としか言いようがない。
最大公約数的に言えば「とても個性的」になってしまうが、この表現ではとても寂しい。なので、ちょっと長くなるがこの瓶に感じる魅力を並べてみると・・・。

斜め上より。平らでなく斜めになった口が良く分かる。今なら不良品だろう。

深いグリーンに、当時の技術がまだ未熟であったため、強度を出す為に分厚いガラスで、ガラスの瓶と塊の中間のような重厚さがある(実際重い)。
滑らかな表面だが、光に透かすとガラスのしわが浮かび、降り始めた夕立の時間を止めたような大粒の気泡がぽつりぽつり。または、海から浮かぶ泡か?
斜めになった口は現在なら商品になりようもないレベルで弾かれるだろうに、そうではなかった大らかさ。
そして、栓を覆う紙か布を縛ったであろうくびれと、その下の豊かなふくらみ、そこからシュッと落ちる絞りで立ち姿は凜とさえしている。
茶入れを感じるデザインでさえある。

・・・ね?長すぎるでしょ?きっとこんな時の為に「百聞は一見に如かず」という諺があるんだなぁと、改めて感心したりね。
で、この瓶自体は、「まあいいじゃん、ただの佃煮瓶だったんだ。飾りたいなら飾っとけよ」くらいの、これまた多くを語らない瓶だと思う。

光にかざすと、また新たな魅力に気付く。奥深い。

いつか、この瓶の良さを一言で表現できるようになればいいなぁとしばしば思う。その頃には「コバルト」ではなく「古い佃煮瓶」と名乗っているかもしれない。それはそれで面白そうだけれども。
何か新しい知識や気付く事、自分の成長を実感できることがあっても、ふと、棚にある色濃いこの瓶を見ると、やはり言葉が浮かばず、「ああ、まだまだだなぁ」と思わせてくれる。そんな魅力のある瓶なのです。

では、また!

古いガラスの記憶#8 「今日もまた」 佃煮瓶

書籍「日本のレトロびん」の裏表紙と、1ページを丸々使って紹介されているユニークなネーミングの瓶。「今日もまた」について。

こんな状態で落ちていた。驚いたなんてもんじゃない。「なんだこれ?」である。

海苔佃煮瓶だったのか、普通の佃煮瓶だったのか?詳しい事はまだわからない。この瓶を拾った日は海で初めて浮き球を拾ったのだが、その日の夕方にはその浮き球を割ってしまったのだ。そして、翌日からまた浮き球を探す事にしたのである。まさに「今日もまた」だ。

ガラス中に不純物が多く、この場所ではエンボスが見えづらい。

そんな痛恨の経験もあったせいか、ユニークなネーミングと言われるこの瓶の名前が、私にはなかなか考え抜かれたもののように思える。何があろうと、変わりなく「今日もまた」一日が始まり、過ぎていく。それはとても幸せな事と言えなくもないからだ。

見えづらいが、「いづみ」というエンボスも下部にあり、遠目には「今日もまたっ」とも見える。
斜め上から

そしておそらく、様々な家庭の変わりなく過ぎていく健全な日々のお供に、この「今日もまた」は存在しており、かつ、「今日もまた」食べてもらえるようにというダブルミーニングだったのかもしれない。

私は言葉も扱う人間だから、このユニークに見える名前が結構好きだったりする。そして、長い年月や幾多の嵐を超えて私に拾われたこの瓶は、私を笑わせ、元気づけ、瓶探しに行く私の部屋にちょこんと飾られているのである。

そう、「今日もまた」ね。

古いガラスの記憶#1 「都じまん本舗」

分類はおそらく、佃煮瓶、海苔瓶、または海苔佃煮瓶(ややこしい!)かな?

この瓶は嵐のあとに拾ったもので、由来はビーチコーミングになるのかもしれない。詳細は今のところ分からないものの、重厚で良い瓶だなと思う。

正面より「都じまん本舗」縦の筋と重厚なグリーンが美しい。
背面か正面か?おそらくシールを貼っていたであろう部分は丸く筋がない。
上面より
底面はこんな感じ。エンボスは「M18」デザイナーの思想が何となく感じられる。